おばあさんの塗りの位牌が完成して、受け取った。
黒に金文字。
うん、かっこいい。
威厳がある。
墓標も彫っていただく必要があるので業者さんと待ち合わせてお墓の下見も
した。
久しぶりにおじいさんの骨壺も見えて、ようやく夫婦揃ってお墓に入るんだなと
感慨深かった。
骨壺を見たとき、ふと、私が22歳の頃に読んだ小説「世界の中心で、愛をさけぶ」の中に登場する漢詩
「夏の日、冬の夜、百歳の後、その居に帰せむ」・・・だったかな、を思い出した。
違ってたら恥ずかしい・・・
この意味って確か・・・
夏の日々、冬の夜々を何度も送り、100年の後には(寿命が尽きたときには)
本来の居場所であるあなたの側(お墓)に帰っていきます。
つまり、死んだら同じお墓にまた一緒に入ろうねって事だったような・・・
朔太郎のおじいさんのようにマイナスドライバーを使わなくても骨壺は見えた。
以外と簡単に骨壺の部屋を見ることが出来るんだと知った。
懐かしいなぁ・・・初版本で読んだんだよね。
おばあさん、もう少しで100歳だったね。
よう頑張った。
ようやくおじいさんと一緒に同じお墓に入れるんだね。
生前、おばあさんは
「おじいちゃんの所に行きたいような・・・でもまだ早いような・・・」って話してたもんね。
毎日、祭壇に手を合わせて
「49日の旅は今どのあたりですか。今日も見守っててくれてありがとう。明日も見守っててね。おやすみなさい。」と念じている。
今日だけは「おばあさんの名前も墓標に彫る手続きをしましたよ」と加えて念じた。
伝わってるかな。
でも49日の法要までには彫りが間に合わないから、納骨は一周忌のときになると思う。
それまではまだ私たち家族と、生前可愛がっていた猫たちと一緒に居ようね。
自宅に戻って夕食を食べているときに、
ところで、うちの様奥と私、どっちが先に逝くんだろうと話した。
様奥が先に逝くのなんか・・・想像しただけで目が潤む。
以前その話を様奥にしたときにも目が潤んでしまい、
様奥から「なんで泣くん~」と笑われてしまった。
いけん・・・いやなんじゃ・・・私が先に逝くんじゃ。
潤んでる目で「様奥が病床で弱っている姿を見たくない」と言うと、様奥から
「男の人って、なんかこういうとき度胸がねぇなぁ」
「おじいちゃんの時もそう。おばあちゃんが調子悪くなったらすぐにオロオロしてた」
と言われてしまった。
うん。逞しい。いいね。
でもなぁ・・・
「あの世で見かけたときにはもう声をかけないでね」と言われたらどうしましょう。
そんなん、本当に泣きそう。
どっちが先でも、「その居に帰せむ」
よろしくね。
こうしているうちにも人生の時間は過ぎていく。
この記事をご高覧下さっている皆様のお時間もいただいている。
子育てと仕事に追われているけど、夫婦の絆も大切にせんとね。
毎日が本当に楽しい。
と、思うようにしよう。